吉そばの啜る音でおっさんに負けた話
日常は競争に溢れています.街を歩く時.回転寿司の注文.レジを通る速度.ソーシャルゲームを立ち上げればランキングが存在します.上司に好かれるためにみんな必死です.色んな所で色んな人達が戦っています.
そう,それは吉そばでも.蕎麦.蕎麦です.そばを啜る音.こいつは今まで勝負になっていないと思っていました.あのおっさんが来るまでは.もりそばたぬきを選んで俺の隣に立ったおっさんが蕎麦をすすりだした瞬間.それは勝負になりました.
「ずぞぞずぞぞずずず~~~~~~~~~」
長い.長い.そしてきれい.そばを啜る音は下品になりがちですが,圧倒的にきれい.美しさすら香るその音に私は圧倒されてしまったのです.そばを啜る音だけでマウントを取られる.あのねぇ,ほんと言語化できないのがもどかしいぐらいにスゴいかったのよ.もうすごい.
その凄さに圧倒された私.まるで急に土俵に投げ捨てられたようなものでした.なんだかよくわからないがスゴい.その気迫を感じ,本能的に,戦わなければいけないという気持ちになったのです.いいですか.戦う気持ちになるのですよ.なるのですよ分かれ.
じゃあどうするか.当然そばを啜るわけですね.で,すすってみる.
「ずぞぞず~~」
もう,完全に負けている.音は多少勝負できているかもしれないのですが,まず長さが圧倒的に足りない.同じ長さの蕎麦をすすっているはずがやつは私の2倍近い音を立てながら蕎麦をすすっているのです.信じられない.なんだ.お前がしているその蕎麦はなんなんだ.俺の頼んだそばと違うのか.俺はもりそば2玉頼んだだけなんだぞ.あいつの蕎麦だけなんか違う.
そんなチート臭いおっさんは私の目の前で幾度となくキレイな音を立て蕎麦をすすっていき,私よりも先に完食.にこやかな笑顔で下げ台に行き「ごっそさん」と軽く声をかけ退店.
もうね,通り魔ですよ.勝負を仕掛けておいて勝ち逃げかと.いや,でも勝ち目なんて無かったんや.もう俺には勝てるビジョンが無かった.諦めなんかじゃないんだ.でも勝てる気がしなかったんだ.圧倒的な実力に,私はただ涙とめんつゆを拭うことしかできなかったんだ…….