はひふへほ

ゲーム,雑記,美味い飯.時々アイマス.

私はずっと消費者

俺の中の夢見りあむがインターネットサマにかまってちゃんを発症しているので今日はそんな記事です。

 

タイトルの「消費者」は手前に「コンテンツの」が付く。コンテンツの消費者。多分私はずっとコンテンツの消費者なんだろうな、ということを思いなんとなく「やむ」して記事を書き出しています。

 

きっかけは小林銅蟲先生の以下記事。

negineesan.hatenablog.com

 

いつもどおり最高だったのだが、やはり以下が刺さった。

FANBOXが居心地よくてこっちに出てくる機会があまりない あっちは好き勝手できるし文句は言われないし金は入ってくるし、、 宗教の時代になってしまうのは正直よくわかる

肉 - パル

この話は、本当に単純な話で、記事書いてお金払われる存在になっているのが心底羨ましいなぁ、という嫉妬心が生まれた、という話です。ただ、思った一方で、このレベルまで面白かったりワクワクしたりする記事なら、そりゃ金払うのも当然だよなぁ、とも思う。実際私はいつも銅蟲先生の料理記事見てうひょーと言っている人間だったりしていて、正直この話見た瞬間にFANBOXに行って会員登録なりしようか悩んでいる。私よりお金があったり、記事が好きだったりする人は大勢いると思うので、そりゃあお金も入ってくるだろう。

 

で、その後ブコメも読むわけなのだが。

肉 - パル

人類の1/3は教祖になれる時代だと2/3側の人間は思う。

2020/02/13 15:19

b.hatena.ne.jp

これもまた真理だなぁ、と思った。多分、1/3は大なり小なりあれどお金を払われるものを作れる人、要するに、生産者、なんだと思う。そしてこれ読んだときに、自分は2/3なのだなぁ、と直感的に思った。だってこんなの書けんでしょう。いや、まぁ、書くというには違うたぐいのものなのかもしれないが、これと同程度に何らかのエンタメを作れる人間になれるかって言うと、あんまりそういう未来が見えない。

ありがたいことにインターネットに何らか書いていることはこれまでもたくさんあって、数ヶ月に一回ぐらいの頻度でそこそこの反響をいただくこともあるのだが、だとしても「お金払ってくれるほど面白いもの」を書けるかと言うと、それはだいぶ難しい話なんだろう。まぁそもそも私が書くものって何らかの感想だったりが多いので、それで金儲けを考えるのも無粋な気がするのだけれど。

そんなことを考えたときに、タイトルに戻ってくる。やっぱり私は生産者側には行けないのだろう。私は今後も消費者であるのだろう。生産することによってなんらか金銭を得られることは多分ないのだろう、と思う。ブログ書いていた期間を本当に累計するとそろそろ10年ぐらいになっていて、もちろん生産者側に憧れてはいるのだが(謎の「そろそろ……」感がある。と言って伝わるだろうか。)。逆にいうとこれだけやっていても金のかの字もないことを考えると、やっぱりずっと消費者側なんだろうな。

 

でも、今軽く読み直して思ったけど、こんな駄文でお金ほしいって思うのも強欲だと思う。もうちょっとお金払いたいなぁ、と思える何かを書けるようになりたいです。色々書いたけど、結局言いたいことは、何もせず好きなことをして他人の金で焼き肉が食べたい。チヤホヤされたい。インターネットにチヤホヤされたい。それだけ。なんだろうなこの文章。寝ます。おやすみなさい。