「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を買ってください
いつもどおりファミ通読んでたら伊集院光の連載で新井紀子先生の研究と著書が紹介されていたのでちょっと買ってみるかというんで買ってみたらいろいろと衝撃を受けたので記事にすることに.
著者である新井紀子先生は相当,というかむちゃくちゃ有名な方なので紹介については記事を示して割愛.書籍についてはこの研究の結果に関する部分だけでなく,これまでされてきた人工知能研究に関する説明,そしてこの研究から見えた結果から今我々は何を考えるべきかについても言及されています.
いろいろあって人工知能関連研究に興味があって片足突っ込んでいたこともある私ですが,そういう人間から見てこの本は(若干誤解を招く部分がありそうだと思ったものの)正確にいわゆる「AI」に関して記述されているように思えました.そりゃそうですよ,だってガチのAI技術関連の研究者が書いているんだから.もっと売れてください.買ってください(これはこの後も何回か言います.買って).あと,時々コミカルな書き方をされているのも大変読みやすかったです.序盤の急にガッツポーズしだすあたりすごく好きでした.
以降,内容について軽く書きながら感想を.1章2章はいわゆる人工知能関連の入門書に記述されているような内容のお話が数式なしにとても平易な言葉で書かれており,この手の分野に関心がある方にはぜひともお読みいただきたい部分.現在巷で使われている「AI」とはなにか,そしてそもそもの「AI」の語義はどんなものか,「AI」が何に依って成り立っているか,「AI」は何が得意なのか,そういった内容が記述されており,ペロッと読めてしまいます.*1
また,2章では著者の研究である「東ロボくん」実装に用いられた手法についても記述されており,こちらもとても分かりやすく勉強になる内容.この内容は遠まわしに研究が目指していた「現状のAIでできることはなにか,現状のAIにできないことはなにか」を示す内容となっており,こちらも大変有益.
しかしやはりこの本で1番読んでいただきたいのは第3章に記載された読解力調査の内容とその結果.調査のうち特定のカテゴリの問題は,半分以上の生徒がランダムに回答しているのと変わりがないという話が書かれていて心底ゾッとしました.これって変な話,自分が普段当たり前のように読んでいる,というより「読めている」と思っている文章が実は読めていない可能性があるということじゃないですか.いやぁ,なんというか,やべぇ(読解力がないブロガー).俺本当はこの本読めてないんじゃないかという懐疑心が湧いてきます.また,著者がロジカルに結果に関して分析をしていながら,その内容,思考の流れを書いている部分についても,私のように頭の足りない人間には大変わかりやすく読みやすかったです.ので,とりあえずこの時点で興味を持った方がいるなら,まぁ買ってください.
そして最後の4章について,これは悪く言えば肩透かしである部分でした.絶賛していたのに急に手のひら返しかという声が聞こえてきそうです.ここは著者が現在取り組んでいる研究に関する記述が半分,AIと共存できる職種に関する記述が半分.前半についてはそもそも「どうすれば読解力が得られるか分かりません!」という有る種開き直り共言える内容が書かれています.なーんだよ,なんて言いたくなる部分ではありますが,これについては研究自体がまだやってる途中のものだし,おそらく本を書いている新井先生自体が1番読解力を得られる方法を突き止めたいと思って研究なさっているはずなので,そんな先生ですら分かっていないなら,まぁ,どうしようもないなと言う気持ちです.そして後半,AIに置き換えられないためにはどうすれば?みたいな話については,3章でも書かれていた20年後に残る職業の表をみればなんとなく分かる話だったというのと,提言する内容がなんとも微妙だったので蛇足感がありました.ので,あんまり良くないなぁと.
最後についてはちょっと引っかかった部分があったものの,基本的には大変有益な書籍だと思います.少なくとも私には,今後の時代の流れを予見,ではなくガチで考えるきっかけになる本でした.ので,色んな人に買ってもらって色んな人に考えてほしいなと思います.買ってください.
あと,あとがきには「この本の印税を使って,今回の調査と同様のテストを中学生に受けさせます」的なことが書かれていますので,この国の未来に少しでも希望をもたせたいと思う方々は買ってください.私は買いました(買ってないとこんな本書けてねぇよ).このブログの読者の方々は日本の未来に希望持ってくるか分かりませんが,まぁ持ってください.買ってください.
*1:いまこのブログで書かれている「AI」と言う言葉が全てカギ括弧付きの理由もだいたいこの辺に書かれています.要するに巷で使われるAIと学会等で使われるAIの語義は大きく異なっているということです.